東日本大震災の発生からまもなく1年。先月上旬,筆者は震災や原発事故で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市,同石巻市,同東松島市,福島県いわき市,同広野町を訪れた。石巻市や東松島市などを訪れた昨年6月(詳しくは「私が見た被災地 京都から仙台,そして石巻へ」以下をご参照ください)に比べると,がれきの撤去は進んでいたが,被災家屋や鉄道の不通区間は今なお残る上,原発事故による放射能汚染への懸念は消えない。本記事では,震災から約10カ月近く経った被災地の様子を伝える。


【1月8日=宮城県気仙沼市】
8日午後,筆者は大船渡線気仙沼行きの車中にいた。2両編成のディーゼルカーには,高校生やお年寄りなどが乗り,座席の大半が埋まっていた。車窓には青空や山々,田園風景などが広がり,ごくありふれた空気が,ローカル線の車内を包んでいた=写真=。

16時過ぎ,列車は終点の気仙沼駅に着いた=写真=。
気仙沼駅からは大船渡線盛方面や気仙沼線が延びているが,いずれも津波の被害を受け,今なお不通のままだ。復旧を目指す動きもあるが,LRT(次世代型路面電車)化や線路をバス専用道に転用する案などが挙がっており,将来像は覚束ない。

気仙沼駅やその周辺の住宅街は高台にあるため,目立った被害は見られず,水色の屋根の駅舎も無事だった=写真=。


気仙沼駅を出て,徒歩で市街地を目指す。幹線道路と並行する大船渡線の不通区間では線路が錆びつき,踏切の警報機には「休止中」の標識が取り付けられていた=写真=。

15分ほど歩くと,中心市街地に出た。途中までは商店の軒が連なっていたが,道路が港方面へと向きを変えるカーブを過ぎると,状況が一変した。ぐにゃりと曲がったガードレール。傾いて建物2階の窓に突っ込んだ街灯=写真=。1階の半分以上がえぐり取られ,仮設の柱で何とか持ちこたえている木造家屋。おそらく,津波で被災した時から変わらない風景だろう。その先には民家が根こそぎ流されてしまった地域もあった。
日が没し,あたりが暗くなった。港周辺は地盤が沈下しており,道路だけが1メートル前後かさ上げされていた。だが,かさ上げ区間の道路に街灯や歩道はなく,やむなく水たまりの多い道路脇を歩いた。排水溝の蓋の上を歩いていると思っていたら,突然,足が泥の中にのめりこんだ。暗くてぬかるみに全く気づかなかったのだ。驚いて車道に上がったが,乗用車やバスが道幅いっぱいに行き交い,ここにも「安全」はなかった。
港や復興屋台村「気仙沼横丁」の周辺を歩いた後,駅に戻った。街灯がない道で何人かの住民とすれ違ったが,毎晩,この「闇」の中で暮らす人々がいるのかと思うと,さらに胸が痛んだ。(つづく)
8日午後,筆者は大船渡線気仙沼行きの車中にいた。2両編成のディーゼルカーには,高校生やお年寄りなどが乗り,座席の大半が埋まっていた。車窓には青空や山々,田園風景などが広がり,ごくありふれた空気が,ローカル線の車内を包んでいた=写真=。

16時過ぎ,列車は終点の気仙沼駅に着いた=写真=。
気仙沼駅からは大船渡線盛方面や気仙沼線が延びているが,いずれも津波の被害を受け,今なお不通のままだ。復旧を目指す動きもあるが,LRT(次世代型路面電車)化や線路をバス専用道に転用する案などが挙がっており,将来像は覚束ない。

気仙沼駅やその周辺の住宅街は高台にあるため,目立った被害は見られず,水色の屋根の駅舎も無事だった=写真=。


気仙沼駅を出て,徒歩で市街地を目指す。幹線道路と並行する大船渡線の不通区間では線路が錆びつき,踏切の警報機には「休止中」の標識が取り付けられていた=写真=。

15分ほど歩くと,中心市街地に出た。途中までは商店の軒が連なっていたが,道路が港方面へと向きを変えるカーブを過ぎると,状況が一変した。ぐにゃりと曲がったガードレール。傾いて建物2階の窓に突っ込んだ街灯=写真=。1階の半分以上がえぐり取られ,仮設の柱で何とか持ちこたえている木造家屋。おそらく,津波で被災した時から変わらない風景だろう。その先には民家が根こそぎ流されてしまった地域もあった。
日が没し,あたりが暗くなった。港周辺は地盤が沈下しており,道路だけが1メートル前後かさ上げされていた。だが,かさ上げ区間の道路に街灯や歩道はなく,やむなく水たまりの多い道路脇を歩いた。排水溝の蓋の上を歩いていると思っていたら,突然,足が泥の中にのめりこんだ。暗くてぬかるみに全く気づかなかったのだ。驚いて車道に上がったが,乗用車やバスが道幅いっぱいに行き交い,ここにも「安全」はなかった。
港や復興屋台村「気仙沼横丁」の周辺を歩いた後,駅に戻った。街灯がない道で何人かの住民とすれ違ったが,毎晩,この「闇」の中で暮らす人々がいるのかと思うと,さらに胸が痛んだ。(つづく)

